なぜ独立・開業に踏み切ったか
昨年4月、36年間勤務した大阪ガスを退職し、独立・開業した。定年まで2年を残してのことであるが、知合いの方々にご心配をおかけしたり、激励していただいたりした。とはいうものの、面白いテーマでもあると思われるので経過を述べておきたい。
名古屋工業大学の機械科を受けたのも偶然なら、大阪ガスに入ったのも偶然であった。大学(2期校)には神戸高校の柔道部の先輩(前三菱重工業神戸造船所の吉村健さん)が「受験だけでもしてくれ」とのことで受験。合格したら浪人するのが嫌になり、下宿して自由な空気を吸えるので決心した。
大阪ガスに入社方
昭和38年当時は好況で、工学部卒は希望の企業に入り易かったが、父親に連れられて八尾の知人のところへ相談に行った。
「大阪ガスはストがないからいい。周りにコネがあれば相談するのがいいよ」とのことであった。ストがないのは今で言う「顧客重視」企業であり、たまたま同級生で同社技術系役員の子息に頼んだら、父親を紹介して貰え運良く合格した。営業部門に工学部卒の技術者を採用し始めた時期であったのも幸いした。ただ、当時から何となく定年までは居たくないとの思いがあった。
会社では主にガス機器の開発やマーケティング、エンジニアリングに携わった。最初の5年間ガス機器メーカー(現(株)ハーマン)に出向し、帰社してから約30年の殆どが本社勤務であった。平成になってからは環境部に勤務した。結果として機器メーカーや行政、販売店や社内の営業・技術・スタッフ部門など多くの方々とかかわりを持つことができたし、常に大きな課題に直面し、新たな発想で問題を解決していく経験を積むことができた。
この会社は人を大切にする雰囲気があり、仕事を自由にさせて貰えたし処遇も良かったが、何か燃焼しきれない感があった。サラリーマンは組織の中で生きていく間は、組織のしがらみに合わせざるを得ないのは当然であるが、一方で定年後の人生設計を考えると会社べったりというわけにも行かない。
独立への準備と決断
平成6年から技術士制度に環境部門ができた。技術的な専門性の低い本社部門でコンサルタント的、コーディネート的な業務を多く経験してきた私にとってはラッキーであり、これに挑戦し3年目に合格できた。
会社では丁度、定年後の人生設計の調査があったが、迷わず独立して60~70才台を充実させる道を目指すこととした。従って、独立・開業までに3年間準備したことになる。
準備はどこまでやっても安心というものではない。退職すると収入が激減するが、妻の廣子は賛成してくれたし、3人の子供は大学を出たので親の責任は果たしたものと考えた。退職金で住宅ローンも完済できたし、同僚が定年退職しているのを見ると、会社にも役目は果たせたし、企業年金も少し貰えるので健康に留意しさえすれば、衣食住の心配はないし決断の条件は整っている。
退職して独立するからにはそれなりの体制をと、株式会社を造りローンを組んで阪急岡本駅から2分のところに事務所を購入した。三和銀行に相談に行ったら、「事業計画が不明確だから、銀行としては貸せないが」と、公庫を紹介して下さった。「駄目ならまた来てください」と暖かい対応に感謝している。
これまでの経験を生かし、これから(21世紀)の人生を本番と心得て、少しでも世の中のお役に立ちたいと考えている。