縁は異なもの味なもの

技術屋になりたかった訳ではないが!

血液型(A型)が関係するのか、100点にならない国語や自己表現に自信が持てないので、何となく理科系と決めた。神戸高校柔道部の吉村先輩が「誰か受験だけでもしに来てくれ。」とのことで、先輩と同じ名古屋工業大学(2期校)の機械工学科に入学した。

就職した昭和39年は、新幹線開通、東京オリンピックと好景気で、父親に連れられて知人に相談に行ったら、「ストライキのない(そして日銭が入ってくる)大阪ガスはいいよ。」といわれ、就職先を決めた。 機械、技術が好きでもないし、本流の研究所や工場関係でない初めての営業向け技術員として採用された。以来、環境部を含め主にガス利用技術に関する商品企画等の業務を30年近く本社ビルで過ごした。 人の動きよりも仕事に興味があった。現場で困った問題が大きくなると相談があり、多くの経験を積めた。 

「技術屋は自分の仕事を、外からでなく自分が評価するものや。」と上司(今井さん)から諭された。独り善がり、マスターベーションになってははいけないが、技術倫理(社会への貢献意識)を含め、自分で納得できるかどうかが重要と思ってきた。

技術士の勲章に大感激!

平成6年に技術士の第19番目の部門として環境部門ができた。このチャンスを掴みたいと3回目の受験で合格した。自分の経験が対外的に評価されたと大感激した。そこで、60〜70才台を充実して暮らす基盤ができたと解釈し、3年の準備期間を経て独立・開業した。この間、技術士資格をもう一部門と思い、3年間受験セミナーで指導を受けたが、結局不合格だった。

技術士(総合技術監理部門)に合格!

昨年、紙野技術士(化学、環境)の推薦で受験セミナー講師に採用された。受験申込書の書き方から指導するために、これを一部購入した。昨年から20番目としてできた総合技術監理部門のことも出ていたので、一緒にチェックしたついでに申し込んだ。

この試験は、技術士の有資格者が受験条件で、安全管理、環境監理、経済性管理(品質管理を含む)、情報管理、人的資源管理についての経験・能力を評価するもので、運良く合格できた。合格率は25%、建設、水道部門を含む合格者は2267人、これを除く17部門でわずか561人である。合格者が少なすぎて社会的な影響力を行使するまでには相当時間がかかるが、技術士(約5万人)の中では評価されている。

「縁は異なもの味なもの」といわれるが、偶然の重なりの中で、ようやく一人前の技術士として自覚もできつつあり、「技術・経営コンサルタント」と名刺に刷り込んだ。これからもクリエイティブでチャレンジングなテーマに取組んでいきたい。

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