レーチェル・カーソンの「沈黙の春」と伝記「レーチェル」

「沈黙の春」は1962年にアメリカで発刊された。農薬の大量散布など化学物質に頼りすぎて、環境、生態系を破壊し取り返しのつかない事態になっていると指摘した。当時のケネディ大統領の指示による直属の諮問委員会の報告書にはレーチェルカーソンがこの本で指摘した内容は正しいとされた。この経過については2002年発刊された伝記「レーチェル」(リンダ・リア著、上遠恵子訳)に詳しいが、以下に2つの図書を自分なりに要約し紹介する。

カーソンは専門的な題材を正確に分かりやすく表現する能力が高い

1907年に生まれたカーソンは、文学的な素養を磨きながら大学〔修士〕を出て海洋生物学研究所に勤務、生物学者として1941年に「潮風の下で」を、さらに1948年から取組んだ「われらをめぐる海」がベストセラーになり、これをきっかけに作家として独立した。このことで、科学的専門的な題材を分かりやすく書き表す能力が広く認められていた。

化学物質の脅威について5年かけて「沈黙の春」を発刊

農薬の大量散布が生態系を破壊する、結果として「春になっても鳥が鳴かない」という状況が各地に見られるようになってきたこと、農薬など化学物質の中にさらされる生活を避けられないのなら、その関連情報について「私たちには知る権利がある」との問題意識をもち、1958年に出版社と契約し、データを収集整理、調査検討して発刊した。発刊に際しては、農薬業界、化学工業会、これに繋がる学会、行政(農務省)から猛反発を受け、告訴されることを念頭において正確で分かりやすい表現をとった。出版とともに社会的に大センセイションを巻き起こした。著者の文学者としての能力及び生物学者、科学者としての能力と高い倫理性、目的意識の中で書かれたもので、これを支援するスタッフや科学者、公的な場で議論するアメリカの先進性の中で業界とのすさまじい闘争が起こったことは間違いない。

本にはどのようなことが書かれていたか

戦時中、DDTがしらみなどに劇的に効くとされ、その後多くの農薬が開発された。アメリカでは飛行機で農薬が大量散布され始めたが、害虫駆除の目的が達成しないだけでなく、生態系が破壊され、あらゆる所で大きな被害が出始めているし、発ガンなどにも影響していることを広範な調査データをもとに説明している。農薬の使用を否定するものではないが、不妊化した雌を放つとか、天敵の昆虫を利用するとか生物学的、生態系にもっと有効な方法の開発・利用が重要である。人間も自然、生態系の一部であることを認識すべきとしている。

1962年秋、どんな状況だったか

この本の発刊前に「ニューヨーカー」という雑誌で3回にわたり要約が紹介された。1963年には「CBSレポート」としてTVで放映された。キューバ危機の最中であったが、ケネディ大統領は調査を命じこの問題に真正面から取組むことを指示した。カーソンはガンに侵され厳しい健康状態にあったが、委員会で発言することが出来、内容の正当性を立証できた〔1964年死去〕。また、この本が出る直前に、西欧や日本で起こったサリドマイド問題が、アメリカでは女性のF・ケルシー博士が委員会で疑問が残ると頑張った結果、食品医薬品局の許可が出なかったことも大きな話題となっていた。

コメント

アメリカでは、「アンクルトム」以来の歴史の流れを変える図書と位置付けされている。私は環境問題に携わって15年近くになるが、ようやくこの本を読んで大きなショックを受けた。日本では、環境教育や、技術倫理が叫ばれるが、子供の頃に偉人の伝記を読んで感銘したようにこれらの情報に容易に触れられることが重要と痛感した。

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