「水俣病の判決を考える」

小林 廣氏(技術士(機械)

奈良の小林です。ホームページ用原稿を拝見し、有り難く、感謝を込めてコメントさせていただきます。

実は昨日のNHK教育TV(の関連放送)を見てから、返事を差し上げようと考えていましたが、大変な新潟地震で番組が延期になってしまいました。それよりも、この度の昨10月23日の新潟地震は大変な被害のようで、お気の毒なことです。

今回の判決は最小限の判決

実は昨夜のTVを見てから、来週技術士会の勉強会で発表する内容を仕上げようと考えていたのですが、いずれにせよ、一応それはさておいて、昨夜まとめを終わりました。

まず、私も、今回の判決は「まったく妥当な、しかし最小限の判決」と考えております。

これに対して行政は、小泉首相・細田官房長官・小池環境相とも、口では「申し訳ない、誠実に救済したい」 といいながら、「認定基準は拒否の構え」、したがって「医療費などの救済も拒否」のようです。

行政の対応に新たな訴訟の動き

その理由は、「(平成7(1995)年の未認定患者を一括救済した)政治決断に行政は踏み込むことはできない」ということのようです。つまり今回の司法判断は、それを越えるまでのことをいっていない」ということのようです。 もっと言えば、その見直しには、再度の裁判か、政治決断が必要と言うことのようです。

しかしそのための動きは、当事者達や取り巻く環境では、すでに始まっています。

第一に、この判決を受けて、鹿児島市出水市の未認定患者110人が、新たな提訴・救済制度の見直しの準備に入ったこと。

第二に、その判決以前から、さらなる「水俣病とは何か」を求めて、法曹・医療・その他の大学などの有志や先生が、とくに今まで抜けていた疫学的研究・熊本大学に残された脳の標本の解析などの研究、勉強会・講義などから、それこそ新しい観点からの「判断基準などの見直し提案」を続々と出していることがあります。

今回の判決は、むしろそのような世論に押されたものといえるでしょう。

胎児性水俣病患者の問題にどう向かうのか!

第三に重要なことは、水俣病としては取り残されてきた「胎児性」(水俣病被害の最盛期以後に生まれた、そして汚染された魚を食べていない)患者が、今40-50才代になっtきていることがあります。彼らはまだまだこれから20年以上の余命のある人たちです。この人達がなぜ苦しまなければならなかったのか。 今回の関西訴訟を提訴した水俣病患者たちは多くが70才を越えていることを考えるとたまらないでしょう。 

そして第四に、最近、カネミ油症患者の認定基準が、23年ぶりに新しく見直されて、患者救済の道が広がったと言うことがありました(H16.9.30ASA)。これは「油症の主な原因物質とされるダイオキシン類の一つ、ポリ塩化ジベンゾフラン(PCDF)の血中濃度を認定基準に追加した」というもので、01年に当時の坂口厚労相が患者認定基準の見直しを表明し、同省の油症診断基準再評価委員会がこれを決めたというものです。新たな認定は、この10年間では98年の一人だけ。しかしこの基準追加により、6年ぶりに新たな患者の認定が、年内にも10人前後出る見通しと報道しています。  水俣病もこのような歴史をたどらざるを得ないのでしようか。

まだまだ続く水俣病の問題

以上のような状況から、時間はかかりそうですが、まだまだ続く水俣病。そして結局は何らかの「政治決断」か、さらなる「裁判」かになることでしょう。  そして最後に思うのですが、四大公害裁判の最初となった新潟水俣病(水俣病の公式発見から8年後に発生)について、当時社長になったばかりの鈴木治雄さんが「被告企業として味わった辛さが終生忘れられなかった」といいながら今年7月、 91才でなくなられたのですが、その一審判決前に「判決内容のいかんにかかわらず上訴権を放棄する」とし、経済界からは「なぜ闘わない」との非難を浴びせられて、「決断は自分との対話の結果」として、敗訴の翌日賠償金を全額支払って解決した、ということを思い出します。水俣病との違いを考えさせられます。

なお、山本さんの文章の後の方の「知る権利」と「学ぶ義務」を拝見して、Lachel Carson の沈黙の春を思い出しました。大分長くなりすぎましたが、悪しからず。よろしくご賢察ください。

コメント

NHKTVはその後、環境省の役人が訳の分からない言い訳をしている状況などを放映した。さらにNHKラジオ(12月20日、22日)には熊本学園大学の原田正純教授(医師)の解説をきくことができた。その要旨を紹介する。

1957年:水俣でとれた魚を猫に食べさせたところ発症した。魚が原因であることがはっきりしたこの時点で、「食品衛生法」を適用して魚を食べるのを禁止すべきであった。例えば、仕出し弁当で中毒を起こしたら、原因の究明とは別に、事業者は販売停止の措置を課せられる。

1959年には魚介類中のメチル水銀が原因であることがはっきりしたが、その後も有効な対策が進まなかった。

弱者の視点に立つべきである。胎児性の発病など深刻な問題を起こしている。医学と社会的影響を考慮した対応が必要であり、専門家が現地の声から真理を作る努力をすべきであった。

第3号で小林さんから資料を頂き水俣病の解説記事を掲載した。

小林 廣(こばやし・ひろし)氏

1934 年生まれ。大阪大学工学部機械工学科卒業後、浦賀船渠鰍ノ入社。一時大阪大学にもどり、1964年に技術士(機械)取得。その後潟qラカワガイダム (現)、潟{ルカノでボイラーを研究開発し、昨年退職。この間、同志社大学で非常勤講師をされていたこともあり、技術士倫理などに造詣が深い。

技術士の大先輩。今回が2回目のご寄稿です。

目次へ