「日本人と遊び」

倉光弘巳氏(芦屋大学学長)

フレあいスポットオープン記念講演

講師プロフィール

京都大学法学部卒業、1958年大阪ガス鞄社、理事エネルギー文化研究所長を経て1994年神戸大学経営学部教授、1998年芦屋大学教育学部教授、現在芦屋大学学長

はじめに

大阪ガスに入社し、用地部から新規事業開発部を経てエネルギー文化研究所を立ち上げた。その後、神戸大学経営学部教授を経て芦屋大学で経営者の二世育成に関わった。この大学を壊したくないので、学長を引き受けることになった。

「遊び」とは

  • 辞書を引くと、「あそび」は好きなことをして楽しむ。他に家を離れる(外遊、遊山)などがある。
  • やまとことばでは、「あそあそと」とあり、乙女の髪がたなびくように、根本がしっかりしていてその他が成り行き次第になっているのが『遊び』で、根本まで離れると「狂う(くるふ)」になる。
  • 社会学での「遊び」には、「遊戯」勝手気ままな様であり、「闘技」には厳然たるルールがある。スポーツは遊戯から闘技につながるものであろう。
  • さまざまな遊びとして水遊び、夜遊び、火遊びなど多くの遊びがあるが、日本人の「遊び」感覚としては悪いこととは考えていない。しかしながら過度に及び溺れるのは、遊びとはいえない状況である。

「色、好色」とは

  • 美しい、風情、趣、情けのあるもので、セックスに至ることがあるが、セックスそのものは遊びではなく、セックスに至るプロセスが「遊び」と理解されていた。
  • 横浜の外人居留地でレクレーションの場を求められたとき、政府の役人は遊郭と受け止めたが、実際に彼らが求めたのは「ボールルーム(舞踏会場)、カードルーム、乗馬コースなどであった。
  • 遊郭では初会から、馴染みになり、歌舞音曲飲食を経て目的に至るもので、そのプロセスが大切である。昔の郭は客がいくら金を積んでも太夫がその気にならなければ言うことを聞いてもらえないのがルール。力づく、金づくで言うことを聞かそうとすると、それは「ヤボ」というもので相手にされなくなる。これに関連して時代により粋(スイ)⇒通(ツウ)⇒粋(イキ)といった表現がある。
  • 「遊女に観世音菩薩を見る」という言葉がある。このプロセス対応としての「お客様キット心得帳」は、クラブの女性に本気でほれる野暮な客が増えたので、バブル期に大和実業がお客様教育用に作った手帳状の本である。

「余裕・遊び」の再評価

  • 余裕のない生活、快適、便利、経済的豊かさを追求して。これで「幸せ」が得られるだろうか。
  • 現代の子供は電車ゴッコ、ママゴトなどゴッコ遊びを経験しない。まね遊びから想像力を育て、さらには創造力を育て、人格の基礎が作られる。知能、学業成績は能力の一部でしかない。人間関係の発達遅滞がキレ易い子を産むのである。
  • 元気のよい高齢者として、あほ話ができる、気のおけない友人が身近にいることが望まれる。孤立がもっとも健康によくないし、交流の場が大切である。
  • 「フレあいスポット」が遊びの場、交流の場として発展することを期待している。
コメント

「これを学ぶ者はこれを楽しむものに如かず」、「これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」という。これはプロセスを楽しむ余裕、「遊び心」が必要と思えるようになってきた。「フレあいスポット」も子供さんからお年寄りまでが「遊べる」場として皆様に育てていただけることを願っています。

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