文化度、利便性の高い市街地でのコミュニケーションスペースの創造

―現代版街のオアシス&バザールをめざして―

なぜJR甲南山手駅前か

1931年、神戸市の東の端、芦屋市と隣接する田と畑ばかりのはずれの地に阪神国道(2号線)森市場が誕生し、これに結婚したばかりの父母が関わった。以来、この地は地域の台所として発展し続けた。ここで父と母、兄が果物店を営み、お客様に育てて頂いた。兄英輔は商売が好きで、一時は数10人の従業員を抱えるまでになったが、1977年に早世した。義姉と甥(当時中学生)が跡を継ぐことになったが、社会経済の変化の中で、スーパーマーケット、コンビニエンスストアなどが出現し、森市場は徐々に衰えてきた。

神戸市の後押しもあり、再開発ビル「セルバ」に生まれ変わり、JR甲南山手駅ができた前後の1995年にあの阪神・淡路大震災の直撃を受け、壊滅的な災害に見舞われた。以後、キーテナントの「マイカル」の倒産、「サティ」の撤退もあり、果物店を2002年末に閉めざるを得なくなった。

店の再生に向けて

国道2号線沿いの表玄関に面した200m2のスペースをどう再生するか、親族会議の結果、私が責任者として経営を任された。2003年に関西スーパーが進出し、半年間借りて下さったが、物販施設としては、主導線から外れていることもあり、再び空き店舗になった。

物販を離れて、サービス提供事業の模索を始め、「フレあいスポット」の設立を計画したが、事業性が低くリスクが大きいため、親族の反対があり一旦経営から手を引いた。その後、クライアント探しが続いたが、結局、2005年1月に私が店を買い取り、再度「フレあいスポット」の経営を決断した。

店の経営リスク対策と資金集め

私は6年前に大阪ガスを定年より2年早く退職し、潟Gコ・サポートを設立・開業、主にISOコンサルタントとして活動してきた。おかげさまで何とかこの2005年までの3年間は黒字経営であるが、新しい店の事業性は高くない。64歳を過ぎてのるかそるかの事業はできない。店を買い取るために個人の借金を増やしたし、これ以上のリスクは背負えない。そこで有限会社「フレあいサポート」を作り、店舗の不動産を担保に国民生活金融公庫から融資を受けて改装・運転資金を捻出することとした。スプリンクラーの整備などに金がかかり、資金がショートする。私がISO9001構築で関わった企業の親会社、潟Tンテクノの川内孝士社長(本社高松市)から300万円出資の提案を戴いた。結局資本金900万円にして半分の449万円を友人、知人に出資していただいた。この店は私と次男の兼司が中心でやっていくが、全体計画のチェック、助言は家内の廣子、工事費圧縮のための提案と施工管理は長男の浩司の支援が大きかった。また、開店後は浩司が経営に深く参画してくれることになった。

商業施設の経営環境

阪神間を見渡すと、大きな商業施設が駅ごとに並んでいる。昔の市場では成り立たないので、森市場が再開発ビルの「セルバ」(1992〜)に代わったことは大英断であった。しかし、六甲道、住吉、芦屋とJRの駅前には大きなショッピングモールがあるし、最近は阪神御影駅前に阪神百貨店、2008年末には西宮球場跡地の大規模店開店と、売り場面積はどんどん拡大しているが、総売上高は減少傾向にある。厳しい環境の中で、「セルバ」の活性化、生き残りをかけた戦いが続いていく。

有利な点も多い

店舗の計画、構想に当たっては以下のようなメリットがある。

  • 世の中の動きへの対応
    • 少子高齢化、成熟化→豊かに、楽しく、自由に、適切価格で使える場の提供
    • 情報化、IT化 →ホームページの活用 など
    • 地球環境問題 →環境NPOの活動拠点 など新しい動きに対応した事業の可能性がある。
  • 阪神間の文化度・利便性の活用・貢献
    • 阪神間で最も人気の高い学区があり、人口も増加している。文化度の高い地域の駅前に立地しており、物販以外のサービス業であれば商圏は広い。また、再開発ビルの表玄関に立地し店舗も明るい雰囲気があって、屋外に面しているので、22:00まで営業が可能である。  
    • 既存施設(商店)の活用・連携を通じて地域の活性化にも貢献できる。
      「セルバ」はB1Fから6Fまであり、専門店、関西スーパー、ユニクロ、ダイソーなどの他、スポーツクラブ(コナミ:6F)、文化教室(5F)との相乗効果も期待できる。
    • 貸しスタディオ、貸し教室の運営が中心になるが、公民館、公共の貸し会議室などと異なるサービス提供が可能である。また、阪神間の一等地の商業ビルなどに比べれば、リーズナブルな価格でサービスを提供できる。
正面左がJR甲南山手駅 国道2号線側B1F屋外広場前
正面左がJR甲南山手駅 国道2号線側B1F屋外広場前

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