「水俣発地球再生―環境先進都市が生まれた―」 日経ビジネス20070430より
ドキュメントとして24ページに及ぶ特集記事
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死の海は蘇った
ヘドロの浚渫は20年前(1990)に終了し、生物が蘇り、豊かな海が再生した。
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対立から環境活動へ
「もやい(舫い)直し」:対立から協調へ。学校でもISO活動
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それでも惑いは続く
チッソ:(岡田俊一社長)は業績面でも立ち直りつつある。地域の一員になるには!
「もやい直し」
※「もやい直し」:心の絆を取り戻すため、船どうしを結ぶもやい。
水俣の再生:環境首都コンテストで1位(2004、2005)※2006、2007は2位
水俣市はISO14001(99年取得)から自己宣言方式へ(市民が監査)
→修学旅行の見学先:環境学習の場:年30〜40校 ex.語り部の講話、市立資料館
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吉永利夫(56歳):静岡生まれ。1971に水俣を知り反対運動に参加、リーダー
→反対運動から脱却し、水俣教育旅行プラニング(99年〜)専務理事へ
広く水俣病を伝え、考え、水俣の未来に目を向けた活動。 -
大矢理巳子(55歳):父親(チッソに勤務)が54年に発症、56年死亡。祖父も同年死亡。
魚を沢山食べる生活をしていた。
※1956:公式発見。当時、県や国は漁獲禁止や排水停止などを行わず -
木村一男(52歳):水俣の蒲鉾店の3代目。74年に北海道旅行で水俣を口に出せず。
※50年代〜60年:チッソで生活の糧を得る人は市人口の70〜80%。
患者対チッソ→患者対市民にねじれ。 Ex.ニセ患者。偏見と差別が80年代 -
森枝敏郎(57歳):県職員、水俣の生まれ。90年に水俣振興推進室メンバーに。
1990ヘドロ浚渫完了。イベントで反対運動。行政不信。→徐々に改善。
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吉本哲郎(59歳):市職員。市はチッソ側に立ち続けた。
89年「水俣病歴史公証館」の設立に係り、反対運動団体「相思社」に調査委託。
→錆付いた歯車が回り始めた。92年水俣病犠牲者慰霊式。93年開設の資料館館長。94年の慰霊式で吉井市長が患者や支援団体の前で対話と謝罪。
→95年:水俣病政治決着。訴訟取り下げ。(患者支援は一応の区切り)「もやい直し」:偏見や差別を取り除き、患者の精神的な救済を図る。
また、環境の街をめざす。 1999ISO14001取得。2000学校版環境ISO→16の小中学校が認証取得。また、家庭版ISO -
天野浩(31歳)無農薬の茶栽培。父が事業開始。水俣病を意識した取組み。
1995年から無農薬で苦戦したが、環境を意識した取組み。
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加藤タケ子(56歳)授産施設「ほっとはうす」の施設長。水俣病支援団体で活動。
まだ、課題は残る。 胎児性水俣病患者などのための作業所を運営。働く場を提供。
水俣病は社会問題。水俣は重金属汚染を世界に発信する拠点にすべき」
高度成長の裏面史「水俣病」
環境問題の歴史そのもの
1941 | チッソ、国内で初めて塩化ビニール製造開始 |
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1956 | 水俣病を公式に確認 |
1959 | 熊本大学、有機水銀説を発表 |
1968 | 政府、水俣病を公害病と認定 |
1969 | 第1次訴訟(112人):チッソに損害賠償を求める |
1973 | 第2次訴訟:未認定患者ら |
1982 | 関西訴訟提起 |
1994 | 吉井水俣市長、慰霊式で謝罪 |
1995 | 政府、解決策を決定(政治決着) |
1996 | チッソ社長、被害者救済が遅れたことを陳謝 |
1997 | 水俣湾の安全宣言 |
1999 | 水俣市、ISO14001認証取得 |
2004 | 関西訴訟の最高裁判決で国と熊本県の行政責任が確定
※現在の認定患者2266人 ※チッソの保障費総額は1365億円(2006)、債務超過1374億円。 |
2007 | 第2の政治決着の可能性 |
尻込みするチッソ:岡田俊一社長(2003〜)
患者の方々には大変申し訳ない。ただ、水俣病の話は喉に小骨が支えた感じ。
50年間:社会から虐げられ、ボロクソ言われ、重い十字架を背負わっている。
→普通の会社になりたい。(旭化成や積水化学などの親会社:名門)
- チッソ創業100年コンサート(2006)で6000人を招待。主催者は挨拶せず。
- 2004:ヘドロ埋立地での能の講演。チッソは参加せず。
- 毎年夏の祭りへの寄付も、非難の声を気にする。加害者意識と被害者意識が交錯。
- 1962「『自主交渉』派とその支援の実態―責任追及という名で暴力は許されるか」
※社員の負傷者は届けが会ったものだけで200人
※一企業が引き受けるにはあまりにも重過ぎる精神的、金銭的ダメージ
→「もやい直し」の輪に入ろう。言うべきことは言おうと提案。チッソ、水俣の将来について発言して欲しい。
→岡田社長:2005中国で環境問題について講演。物心両面の打撃は莫大。
- 科学意識を過信してはならない
- 起きた結果の前ではいかなる弁明も通用しない。
- 法的な判決を上回る大きな補償責任を負う。
- 絶対に公害を起こしてはならないこと。一度起こせば命取りになる。
→中国でのし尿処理システム販売に成功
徳富蘇峰の予言:1933.の手紙。(アセトアルデヒド生産の年)
(チッソがこの地に誕生し)工業地または商業地として栄えることは喜ばしい。しかし、物質的な進歩には必ず精神的、心霊的な進歩を伴いながら調整していく必要あり。
→チッソも地域コミュニティの一員。市民と手を携える時期。CSR,リスクマネジメント、環境経営…。その学習経験者として…。