「中江藤樹一日一言」を読んで

童門冬二作「小説中江藤樹」上・下を数年前に読んだ。今回、藤樹生誕400年記念出版された中江彰編の標記の冊子(致知出版社発行)を熟読した。「孝を尽くし徳を養う」「父母の恩徳は天よりも高く、海より深し」とある。今年は母の7回忌であり、今後の生き方を考えるよすがとしたい。

1.はしがきより

 中江藤樹(1608〜1648)を知行合一(ちこうごういつ)の陽明学者として理解するのではなく、その思想の根幹をなすものは「明徳を明らかにする」という「明徳の説」と「孝は天地未画の前にある太虚の神道なり。」「身のもとは父母なり。…… 天地のもとは太虚なり」とある「全孝の説」の二つある。

 「明徳を明らかにする」とは学問によって私心や利欲を離れ本心の明徳を明らかにすること、

また、宇宙の根源は「孝」にあり、万物すべて「孝」から生生化育したということとしている。

「明徳」と「孝」は密接な同根関係にあり、藤樹は「四書」と「五経」を重視している。

  ※四書:論語、孟子、大学、中庸  五経:易経、書経、詩経、礼記、春秋

2.本文の一日一言より

@「孝」は「愛敬」につながる。「愛敬」を具体的に見ると、主君に「忠」、臣下に「仁」、子には「慈」、年長者には「悌」、年少者には「恵」、夫には「順」、妻には「和」、友には「信」である。

 孝行とは父母の心の安楽なる用に、また父母の身体を敬い養うことである。わが子の願いのままに育てるのを「姑息」の愛という。

A志を同じくし親しく交わるのを「心友」といい、同郷、同職などで親しいのを「面友」という。 

 文武:「文は仁道の異名、武は義道の異名」で、文徳、武徳の文武合一が重要である。

 主君が家臣をもちいる本意は公明博愛の心で、「用の立たぬ人間なし」として得意なものがある。

 政治の根本は聖賢の道を修め、手本・鏡となること、「法度」の箇条は枝葉であり、限界がある。

 法治中心でなく徳治により、まず、自分の心を正しくして人の心を正すのがよい。

B学問の目的は心の汚れを清め、自身の日常の行いをよくすることが本来である。

 謙の一字、「謙徳」は海である。「心学」を修めることが重要である。

「明徳仁義」は人の本心の異名であり、すべての人にこの心がある。

人間は迷いと悟りのいずれかであり、学問修行して「悟りの心」をめざす。

神明の道理にかなっていれば、財宝、官位を捨てても無欲であり無妄(偽りがない)である。

C禍を招く満心に注意。本心の明徳を曇らせる。善をなすには人の知らないようにを第一とする。予想もしないことにあっては驚き、心が逆立つために、遠慮することを忘れて発言、行動する。

 善悪の報いは山彦のように反応する。他人に対する愛敬の行いは自分に対する愛敬することである。

謙は穏やかで公平無私の心を持ち、人に対して善をなす徳のことである。

世間の幸福感は、子孫の繁栄が上、次が長寿、官位が高く富貴となることを下としている。

D「不孝」は最大の罪である。

 万物は一原(根源は同じ)であり、自分と他人という差別は存在せず、自分の身に跳ね返る。

天下第一の宝は「明徳」(性命の宝)で、これをしっかりと保持することで繁栄できる。

 天下第二の宝は金銀珠玉、位など世間の宝で、明徳明かな人が恵みを受けることができる。

E子育てとして幼少のときに子供の自由にさせてはならない。成人には明徳を明らかにする工夫を励ます。才芸を余技として、道徳を第一義として尊ぶことが大切である。

 子供を愛する母は無欲の慈悲心であり、仁といい、人の固有のもので、志により得られる。

心の本体は万物一体の仁心であり、これを発揮して接すれば、相手も仁愛の心で親しんでくる。

F損得を計りむさぼる貧心(とんしん)と勝つことを好む満心を除くことが大切である。

 清廉な心がけは、貧心がない。清廉こそ得である。廉直を重視し、貧欲を捨てて陰徳を励むこと。

 心をおさめる学問をめざすと、明徳を明らかにすることができる。

自反と慎独の工夫を新たにし、仁の道に違わないと五福が与えられる。妄心や雑念がない行為は陰隲(いんしつ)といい、心を仁におくことを、陰隲の根本とする。

G善悪の実体は心にあり、良知に致ることを善とする。学問は良知に致る以外にはない。

後生も大事だが、今生はなお大事で今生が迷うと後生は苦悩の世界におもむくことになる。

視聴言動思の五事の正を得るように工夫することを自反慎独という。この独(ひとり)を見つけ、守ることを慎独の工夫という。苦悩のない(良知の)本体を失わないようにすること。

志さえ硬く立てたら賢知・愚不肖の隔てはない。志がしっかりしておれば、学問の種子として育つ。

H私意(自分のためと思って、色々画策する心)は地獄に他ならない。

変わることのない楽しみは、明徳が天地の根本であることだ。真楽(人生の楽しみ)は自分の心にある。心そのものが富貴や貴賎をあらわしている。

過去は仕方がない。今まさに自分の心を正す当下一念が大切である。

I宇宙の根本である孝の生生化育する働きを至徳といい、中といい、仁といい、大本という。

 孝の徳を損なうことの大きいのは、自らの満心の一症である。

 富貴を授ける人の恩など、何事も父母の恵みでないものはない。

病気の根は私意にある。意は心のかたよりである。

誠意と絶四(意、必、固、我を絶つ)は同じ意味で、私意が取り除かれて明徳が明らかになる。

J世の中のことは「すべて五事」に帰する。貌(のからだ)、言、視、聴、思(のこころ)がある。

 終始は本に初めて末に終わる。あらゆる物事は、循環極まりなく、終わりがない。

心は虚明でかたよりがない。私意と期必によりゆがんでしまう。私意を誠にする工夫が必要。

抜苦(苦を去り楽を得る)の願いをかなえる方法は学問にある。

聖人は絶四により、心の本体を完全に明らかにする。孔子は絶四により、聖人の面目を示された。

K君子と小人の違いは心にある。意必固我(私意、期必、執滞、私己)が心になければ君子である。

 聖賢の千言万語は「誠意」に帰着する。

 謙は虚(むなしく何もない)であり、心がむなしければ、好き嫌いの感情が自然に出てくる。

 古来聞きがたきは道(聖賢の教え)、この世で得がたいのは(道をともに学ぶ)同志である。

同志の交際は、恭敬(恭しさ)と和睦(仲むつまじさ)で行ない、自分の都合勝手はいけない。■

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