水俣病の最高裁判決で考えたこと
水俣病関西訴訟の2審判決があった2001年、本ホームページ第3号で「水俣病と技術倫理」について取り上げ、今後も患者の救済と真の原因究明に向けて議論が続くと述べた。3年半経過して最高裁判決が出たので、現時点で見直しをした。
@判決はきわめて妥当決
判決はきわめて妥当 この訴訟は行政が政治的な責任を明確にせず和解を強力に進めて決着を図ろうとしたが、関西訴訟だけが和解に応じず、国及び熊本県の行政責任を追及したものである。判決では行政責任が問われる結果になり、極めて妥当なものと考えられるもので、日本の社会が徐々にではあるが健全な方向に向いていると評価できる。
行政の責任を認めたものである
1954年にチッソの工場の排水中に有機水銀が確認され、1956年に発症が公式に確認され、1959年に水俣湾の魚介が原因との答申が出たのに、行政は規制等の措置に動かず、その後、1968年にようやく有機水銀による公害病と認定された(本HP第3号参照)が、これに対して行政の責任を認めたものである。
非認定患者も認定されたこと
現在でも、認定患者約2000人で、認定されていない患者が10000人以上という状況に対し、この中にも水俣病患者がいると認定した。即ち、1977年の厳しい認定基準がでて以降、認定率が10%以下と急激に下がったが、今回、有機水銀による感覚障害、中枢神経疾患を水俣病と認めたもので、大幅に患者の救済が進むことが期待される。
Aどのような判決がでるか不安があったが!
この判決を期待していたが、本当にそうなるのか不安もあった。私の前回のホームページの記事を見て、水俣病を地元で身近に見て来られた環境カウンセラーの方から、患者の認定拡大はそんなに簡単ではないとのコメントを頂いたことがある。一方、今回の判決を控えて、この問題について色々教えていただいた小林廣技術士と技術士会の研修旅行に同行させて頂いたが、小林さんは、明確に上記の判決を予想され、そのとおりになった。科学的知見が共有化され、裁判の場で明確に評価され、、世の中の流れが望ましい方向に動いていると改めて確認できた。
B行政と政治の問題について
環境省は認定基準の見直しをしないと発表
水俣病の認定基準は25年間以上もかかってようやく最高裁で覆されたのであるが、環境省はすぐ判決後の記者会見で、行政としての認定基準は見直さないと発表した。一方、鹿児島県の在住者は葉本判決を受けて 未認定患者が国、県、チッソに対して損害賠償請求訴訟を行うことを発表した。
行政は判断や処置に誤りを起こさない((無謬性:むびゅうせい)との宗教的な信仰にも似た考え方があった。このために1995年に強引に政治決着に持ち込もうとしたが、これがようやく否定されることになった。
政治家は世論の動きを常に気にしている。今回の判決を受けてこれ以上争うことの不利益を考え、政治的に望ましい方向での決着を図ろうとすることが予想される。
世論の後押しが必要
香川県豊島の産業廃棄物の不法投棄事件についても、住民は行政(県及び間接的には国も)に問題提起し続けたが、最終的にはマスコミに取り上げられ、人口1000人強の小さな島から県会議員が誕生し、知事は20数年の経過の後にようやく謝罪して、原状回復(廃棄物を焼却無害化処分)することになった。これは7年間の公害調停で原告団の大川副団長(その後、日本弁護士連合会の事務総長もされた)の講演(特別講演の記事)にも、世論の高まりが勝利につながり、解決に至ったと指摘している。
C情報公開と参画・協働
情報公開と参画・協働は21世紀社会のキーワードである。「知る権利」と「学ぶ義務」の中で、行政や政治、企業の活動を市民が傍観するだけの観客民主主義から参加型に変わっていかなければならない。環境問題に対して環境行政は協働を叫びながら、一方で旧来の無謬性の考え方、行動が顔を出しているのも事実である。その本質を感じ取り、前向きに活動し変わっていくことが重要である。
*ここで述べた原稿に対しての小林廣技術士の意見を掲載させて頂いた。