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第9号見出し

 「億万長者、大根田勝美氏の生き様」 201005   

NHK「ラジオ深夜便」の「明日への言葉」(4:00〜5:00AM)をよく聞く。「中卒の組立工、ニューヨークの億万長者になる」という大根田氏への自伝本についてのインタビュー放送に感銘を受けた。その日の午後に大阪の旭屋書店と紀伊国屋書店に行ったが、すでに店に在庫がないので、インターネットでAmazonに注文したら、翌日に届けられ一気に読んだ。

 氏は1937年東京生まれ。空襲が激しくなり家族6人で長野県へ疎開し、食べるものも満足に食べられない貧困の中で、少しでも収入を得ようと工夫しながら少年期を過ごした。中学卒業時に運良く名門企業のオリンパスに入社し、組立工として腕を磨きながら、6年かけて定時制高校を卒業した。その後、東京勤務を経て、英語を勉強してニューヨーク駐在となり,成功の道を切り拓いていった。経験に基づく哲学は次のようである。

@常に問題意識を持ち、必死に頭を働かせ、目の前で起きている現象に注目し続ける。
  成功を収めるためには天才である必要はないが、成功を収めるためにアイデアを実践すること。

A人の関心を引きつけ、プレゼンテーションの達人になる。
 自分をアピールするチャンスは1回しかないと、一期一会の真剣勝負をすること。

B「人間万事塞翁が馬」、禍を転じて福となす。
 長野で医者の誤診で胃炎なのに、胃を2/3切除された。同じ過ちを繰り返さないために、胃腸に関する本を読みあさり、医学の基礎的な知識を独学で学んだことが、後のアメリカでの内視鏡など医療機器に関する営業、技術開発など幅広い成功につながった。

チャンスの神様の前髪をつかめ

これと思ったことは徹底的にやり抜いている。例えば、英語の習得について、最初はリンガフォンのテキストを勉強し、次に米軍基地に手紙を出して軍人から生きた英語を学んだ。1年後に会社の英会話グループで鮮やかな変身振りに全員を驚かすとともに、超エリートコースといえる米国駐在の辞令を1964年(27歳)に受け、結婚直後に単身赴任した。また、お金を貯めて1年後には、会社の内規を変更させて奥さんを呼び寄せた。赴任後5年間の勤務を経て独立に至った。

「チャンスの神様」がすごいスピードで近づいてきたとき、ふさふさした前髪をつかまなければ、はげ頭を捕まえることはできないで、手遅れになってしまうと考え行動している。

営業マンの鉄則

  • 時間厳守を含め、相手との約束を守る。
  • 相手にメリットのない取引はしない。:新製品に切り替わることを知らせずに後悔したなど
  • 親身になって対応する。:故障への対応サービスなど
  • 自分ならではのセールスポイントを作る。:内視鏡の扱い、判断などに精通し、的確に対応。
  • 自分の存在をアピールする。:相手に強烈な印象を与えるための挨拶など

独立してからの人生

 大学卒でないから社内での将来は狭いと考え、ペンタックスから独立して歩合制の営業マンとして契約した。非常に大きな実績を挙げて収入が増えたが、契約条件が悪化したので、更新せずにライバル会社の町田製作所、その後ペンタックスと合弁会社を作るなどして内視鏡関連の医療システムの開発、販売などに関わり成果を挙げた。この分野では第一人者である新谷弘実医師や米国の著名な医師の方々の信頼を得ていたことも大きかった。

 また、ビジネスパートナーとしてルイス・ペル氏と組んで、関連する医療機器関係のベンチャービジネスに出資して株式を取得し、成功したら株の売却益を獲得する方法で、巨額の資産を形成した。その後事業で苦しい局面にも遭遇するが、ニューヨークに2000坪、日本庭園付きの住宅を主拠点とし、東京にもマンションを取得している。

仕事に打ち込む日々が重なる中、淑(すみ)夫人の体調不良を機に68歳で引退した。現在は夫妻で健康な生活を楽しんでいるとのことである。多くの人、会社との関係に支えられながら成長し、自らの力を頼りに精一杯生きてこられた方の生き様である。

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