
作家井上ひさしさんとコメ問題から農業を考える
井上ひさしさんが2010年4月9日に亡くなられた。NHKラジオでの評論家内橋克人さんの追悼の言葉を聞いて感想を整理した。内橋さんは井上さんを「日常感覚の中で行動する人」と高く評価されていた。「難しいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことを面白く、面白いことをまじめに、まじめなことを愉快に、愉快なことはあくまで愉快に!」を実践されたという。
井上さんがどのような方だったかを知りたくて、雑誌などに連載されていた「どうしてもコメの話」(1993新潮文庫発行)を読んだ。
@なぜコメの自由化を進めるのか
当時、ウルグアイ・ラウンドはガットの新しい多角的貿易を進めるために多くの議論が進んでいた。
ここでは農業だけでなく工業、知的所有権、サービス、貿易、海上輸送など多くの分野で交渉を進めていたが、とくに米国の強い要請でコメの自由化が迫られ、筆者はこれに強く反対されていた。
農業問題については米国とECは大きな補助金政策を実施し、相互に対立し、自らは保護政策をとっていた。日本の大新聞は、日本がコメの自由化や関税化を受入れないと、ウルグアイ・ラウンドそのものがダメになってしまうという報道をしていた。コメ問題は国際的問題としては小さく、米国の圧力に振り回されるのはおかしいと見通していたのである。
A農業、コメは自給できるし特殊性がある
- コメはわが国の2000年の歴史に根付いた文化そのものである。棚田に見るように農村は自然の保水機能、循環機能等、また景観、地域の活性化のためにも重要な役割を担っている。
- わが国での生産能力は1400万トン/年あり、3割は減反政策で、水田の循環機能を破壊するおそれがあるし、十分に自給できる状況にある。
- 世界の3大穀物はコメ、麦、トウモロコシであるが、大豆を含めコメ以外は全て自由化を果たし、海外に依存してしる。その結果、わが国の食糧自給率は40%と極めて低い水準にある。
- コメは栄養価が高く、連作が効くし、肥料も少なくて済む生産性の高い作物であり、アジア地域を中心にほぼ自給自足しており、市場に出回る量はごく少ない。米国のコメ生産は補助金政策に依存するし、灌漑農業で長期的に安定した循環農法ではないので、国際流通させるとリスクが大きい。
- ECの主要国は先進国であるが、食糧の自給率はいずれも100%以上であり、国の政策として農業を守っている。フランスのブドー、ドイツのジャガイモ、英国を含めて、国の主要食物は強く輸入規制、保護政策をとっている。同様に米国もピーナッツなどの輸入規制や、コメに対する大きな補助金を出している。
結論として、わが国の地域活性化、食糧の安全性を確保するためには、主食であるコメの自給自足体制を維持することが重要であると、多くのデータを検証しながらまとめた内容である。
コメント
1990年代当時、私は大新聞の主張と同様にコメの自由化を進めるべしと受け止め、同僚と意見のぶつけ合いをしたことがあるが、今は「知の巨人」と目される井上さんの意見に強く共感を覚えている。
国土の保全、地域の活性化の基盤として農業のGDPに占める割合は小さくなっているが、コメ問題を中心とする農業政策は重要である。その背景などについての説明は十分とはいえないが、民社党の農業政策の柱にもなっている。なお、下記の統計資料からはコメの消費量(2007年:61.4kg/年)の低減とともに食料自給率も40%にまで低減していること、食糧全体に占めるコメの消費量はそれほど大きくないことが分かる。
新たにTPP(Trans-Pacific Partnership)への参加を民主党政権は進めようとしているが、本当にこの形が必要か、異論も多い。一方で、日本の農業を守るため、日本(民社党政権)は米について農家の戸別保障政策を導入したが、この補助金収入を見込んで市場でのコメの販売価格が大幅に下がっているという。また、韓国ではFTAなどの自由貿易政策を導入する際に、国内農業への保障は手厚く行ったといわれる。
コメの自由化により、米国から安いコメが輸入されて市場を混乱させる懸念がある。さらにTPPは農業以外の分野についても、米国の思惑に振り回されて、国益を損なうと心配されている。一般論としては前向きに捉えるべきであるが、この問題については情報をオープンにし、慎重に方向付けして、国民のコンセンサスを形成する必要がある。
●食糧自給率 (単位:%)
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1965年 | 1985年 | 2007年 |
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カロリーベース | 73 | 53 | 40 |
生産額ベース | 86 | 82 | 66 |
資料:食料需給表(農林水産省大臣官房食料安全保障課)
●主要食糧消費量の推移(国民1人当たり) (単位:kg)
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1965年 | 1985年 | 2007年 |
---|---|---|---|
穀類 | 145.0 | 107.9 | 95.0 |
うち 米 | 111.7 | 74.6 | 61.4 |
うち 小麦 | 29.0 | 31.7 | 32.3 |
野菜 | 108.1 | 111.7 | 94.5 |
果実 | 28.5 | 38.2 | 41.2 |
畜産物(牛乳を含む) | 58.0 | 108.0 | 138.6 |
魚介類 | 28.1 | 35.3 | 32.0 |