エコサポート通信 最新号トップ画像
第9号見出し

橋についてのアレコレを考える (その1) 明石海峡大橋    2011.1.21

私の家は海抜100m、阪神高速道路湾岸線の斜長橋から西に六甲アイランドに続いているのが見える。1995年の阪神淡路大震災では、この橋が落橋はしなかたっが、橋桁が大きくずれ、通行できなくなっている様子が正面に見えていた。中学の同級生の渡邊英一京大名誉教授から「橋の科学」という土木学会関西支部編の図書をいただいたので、感想を綴った。

明石海峡大橋は上手く活用できているのか

1960年頃、高校で当時の原口忠次郎神戸市長は有名な土木専門家であり、夢の明石海峡大橋の建設について熱く語る講演を聴き、胸をときめかせた。その後、計画が具体化した1985年頃、会社の上司が理事研修のテーマとして世界の大規模橋と地域の経済的影響を取り上げて、あれこれと調査していることを目の当たりにした。結果は聞かなかったがよい着眼と思った。

1998年に待望の明石海峡大橋が開通し、淡路島で花博が開催され、花と緑あふれる観光開発が始まった。明るい陽光と、開放的な風土は、阪神間から至近のリゾート地として可能性が十分であり、別荘地を探しに島内をまわった。結局、国立公園で西海岸の景勝地、慶の松原にあるリゾートマンションを入手した。バブル期にリゾート振興法ができて建設されたもので、その後開発事業者は倒産して経営者が変わり、格安で購入した。10階建て約100戸で、温水プールやテニスコートも整備され、管理も行き届いている。自宅から1時間強の便利さであり、有効に活用している。景気の悪さが長引いているからか、現在も部屋の売出しが続いているが、さらに価格は半額程度である。

インフラの有効利用で総合的な投資回収が基本

本州四国高速道路公団は3つの高速道路を建設開通したが、莫大な赤字を抱えている。このために誰もが利用したくない高い通行料をとってきた。その後の自民党、民社党の政策で料金は安くなったが、通行料金は別立て2重払いである。淡路島、四国は観光地としてポテンシャルは高いし、明石海峡大橋に続く高速道路は渋滞も発生しない。料金の2重取りについては、国と地元との調整により500円の上乗せで決着した。成熟化社会では、インフラの建設から利用による総合的な付加価値を創造する政策への転換こそ必要であり、地域が自立的に活動できるような制度に作り変えることが必要である。

また、土木技術者も最高の技術力を駆使して作った橋を観光資源として、また技術力をアッピールする場の活用に向け、当事者意識を持って活動できないのかと思われる。

技術・社会のPRの場をどう作るか

30年近く前、ワシントンDCのスミソニアン博物館を見た時、人工衛星の実物の展示などを見て、外国人である私も興奮した。上海万博で中国館を見たとき、その躍進ぶりが見る物に自信を持たせると感じた。内蒙古自治区の博物館も、マンモスもあり若者の心を揺さぶるものであった。

 明石海峡大橋については、仕事柄、色々見学するチャンスがあり参加した。一般向けの展示館も興味深かったが、小学生の社会見学ルートになっているかは知らない。倉敷の児島にある橋の博物館を見たとき、入場者は他に誰もなく、展示物も動的なものがないのでつまらなかった。館内の方に聞いたら、倉敷市は持て余し気味で、経営を外部業者に委託することになったという。予算の使い方、展示を工夫すれば、理科好き、社会好き、日本好きの子供が増える。同じ倉敷・児島にある野崎家の塩業歴史観は非常に説得力のある展示をしていた。

>>> 橋についてあれこれを考える(その2)へ

>>> 第9号の目次へ